今、したいこと 共同体でのミサ ができない中で  司祭 芹沢博仁

 主のご復活おめでとうございます。という挨拶も皆さんとできないまま、復活節に入ってしまいました。緊急事態宣言が出され外出自粛を求められる中、どのような生活を送っていらっしゃいますか。わたしは献血ルームに通っています。こうした事態でも血液は必要です。わたしにとっては不要不急ではありません。
 9 年前の東日本大震災の時、あちらこちらで節電をしていました。駅も薄暗さを経験した時、こんな風にできるじゃないかと感じました。しかし今は駅には煌々と灯りが点いて、元に戻りました。もちろんLEDに変更したりで節電はできているのでしょうが。この場所に本当にこれだけの灯りが必要なのか?と思っていたことが全く消えてしまったように思われます。それでも被災地の教会を通して繋がり、関りの中で築いてきたものが残っています。人との距離を縮めたことです。
 感染予防のために、わたしたちは距離を取ることを求められています。それは、生活に大きな影響を及ぼしています。このことが人と人との関りをも遠ざけることになっては一大事です。むしろわたしたちは関りを強めることにしたいと思います。
 以前からある教会の課題の一つから考えてみましょう。高齢化が進むと、教会に来ることが難しくなる人が増えるといわれます。その時は各自家で、教会に集っている皆と心を合わせて祈りましょう、とされてきました。しかし、一人で祈るのではなく共で支え合い、祈る事ができたらとても良いと思います。今をその機会にできないでしょうか。例えば、日曜日に仲間同士で時間を決めて、電話やSNS を使って、「聖書と典礼」で相互に聖書を読み、「新型コロナウィルス感染症で苦しむ世界のための祈り」をし、主の祈りを唱えて結ぶ。このようにミサに集えない日々を支え合うのはどうでしょうか。ゆっくりと時間が取れなくても、電話で一緒に主の祈りをしてみるもの一つでしょう。このように一緒に祈るという事は、集まれなくてもできます。
 教会は仲間が必要だといわれます。その繋がりが消えないようにしなければなりません。以前から繋がりを継続させていく課題を抱えてきたわたしたちは新たな形、行動をもって実現していくことができるでしょう。この非日常の中で、この騒ぎが収まっても残るものを築いていきたいと思います。
 わたしも、近隣教会の神父さん、特に一人暮らしでいる神父さんに連絡してみようと思います。

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